モノを大切にから…                        2017年7月14日


先達て、テニスの錦織選手が四大大会の一つ全仏オープンのベスト8をかけた試合で、ラケットを叩きつけて壊してしまったことを何気に友人にメールしました。

その友人からは下記の短い返信を頂き、それに対して、一気に書き綴ってしまった衝動的(笑)文章に少し加筆したものです。

道具は大事にしなきゃぁ


「モノを大切にすると言う意識は違うんです。」

ある方がそう伝えてくれています。

凡打を打った後、三振した後、バットを叩きつけてへし折ってしまう選手を例にあげ、自身の技術の未熟さをバットに八つ当たりをする、当たるなら自身に当たらなくてはならないものを、モノの命、役割をそこで潰(つい)えさせてしまう!!

この場合の命は、エクサピーコさん(本質)の学びを強制終了させてしまうと言う意味でしょう。

 

モノを奴隷化してしまっている僕たち現代の人間の意識では、モノを粗末にするか大切に扱うか、そこくらいでしか捉えられないのは、むしろ当然なのかもしれません。

 

イチロー選手が、バットをジュラルミンのケースに入れ湿度管理をし、打った後、四球で歩く時、バットを放り投げたりすることなく、できる限り柔らかく置いて次のプレーに移る。この行為をただ、モノを大切に扱っているそれと観るなら、イチロー選手のプレーの意味は単層的にしか映らないのではないでしょうか。

 

メジャーリーグのマリナーズに入った当時、ベンチでイチロー選手のグローブに座っている選手がいて、いやそう言う行為がメジャーリーグでは、ごく普通なことだと言うことを目の当たりにし、唖然としたことは有名な話てすが、これも単に道具を大切に扱っている様と観るとやはり、彼のプレーの奥深さ、意識の重層さは観てとれないのかもしれません。

 

生きて共に学び合い、一体化したパートナーと観て初めて、イチロー選手のプレーの本質が観えてくるのではないでしょうか。

 

イチロー選手のグローブやバットで学ぶエクサピーコさん(本質)の段階は、当初から他の選手の道具に宿るエクサピーコさんのそれより遥かに精妙な方が来られ、イチローさんと共に学ばれてるのではと観じられます。

イチローさんの道具で学ばれるために、そのエクサピーコさんたちは、喜びをもってやって来られているのではないでしょうか。

 

錦織選手のイライラは充分に伝わってきました。彼がラケットを叩きつけたくなる心持ちも分からなくもなかったのです。

自らが思い描いたプレーと少しずつズレが生まれている。

試合としては優勢なのに、身体に痛みもあり、思うような軌道でラケットも振れなくなっていたのでしょう、この気だるく重苦しい歯がゆいプレー、その連続に苛立ち、やり場のない怒りが込み上げてくるのををつい、ラケットにぶつけて、そのエネルギーを発散放出する。 

ただ、テニスプレーヤーにとって命でもあるラケットに八つ当たりしてしまう意識では、精妙なエクサピーコさんは錦織選手のラケットにやって来て共に学ぶことを辞退されるのではないでしょうか。

 今、地球で作られるモノにやってきてくれるエクサピーコさんがいなくて大変な状況だと聞きました。

モノに一体化しても本質が学べないからだそうです。

直ぐに使い捨てられ、あるいは壊されてしまい、奴隷化が当然とまかり通っている意識では、あまりに学びが喪失された環境だからです。

だから、せめて少しでも気づかれた方が、電化製品に電磁波を変換するシールのピシュやジュポスを貼らせて頂くことの意味の本質はここにあるのです。

鉱物さんの了解も協力も得ないまま、加工に加工を重ね、自身のボディも傷つけ続ける周波数帯の電磁波を発振し続けることを強いられ、僕たちの都合の良い便利さを追求したモノに形作られてしまう。

せめて、そのことに少しでも気づかれた方はお詫びの意識を向ける、ピシュやジュポスを知って、自然の仕組みに信頼の起きている方なら、お詫びの意識で貼らせて頂き、せめて彼らが苦しみ続けないようにさせて頂くことが、電化製品による電磁波から人間を守るためではなく、彼らの意識と意志を無視して加工されてしまったお詫びと、僕たちが結果としてその恩恵を受けていることへの感謝からピシュやジュポスの電磁波を変換する装置は生まれたのが宇宙の本意ではないかと観じます。

こう言う環境を調整する装置を販売させて頂くことを仕事にして22年程の時間が経ちました。

電磁波が身体に悪いことは、それより以前から知ってはいました。

そう言う流れと縁が幾重にも紡がれ、現代科学では未解明で証明もできてはいませんが、電磁波や農薬、マイナーな化学物質を変換するお皿やシール、身につけるモノなどファルフと呼ばれるエントロピーを減少させる装置を製品として販売させて頂くこととなりました。

家電製品の周波数に対応するピシュ、携帯電話やBSアンテナの周波数に対応するジュポス、それらのチタン製の周波数を変換するシールが販売されるようになり、当初、電磁波防止シールとして販売を続けていました。

暫くすると、その電磁波防止と言う人間を中心にした視点だけの意識に違和感を覚え始めていました。

電化製品から発振される周波数は動物、植物、鉱物、勿論人間にもマイナスな影響を与えている、と言うことは、自分が発振している電磁波で

、加工はされていますが鉱物である電化製品自らが苦しんでいる

そのことに気づかせて頂いた時から、電磁波防止ではなく、お伝えさせて頂ける振動波の方には、先ずは“お詫び”その上で、“感謝を込めて”電化製品に貼って差し上げて下さい。とお伝えさせて頂くようになりました。

モノを大切にする意識から、生きている存在同士としてフラットに交流していく意識へ、それが錦織選手には欠け、イチロー選手には在るものなのかも知れません。

錦織選手はまだ、モノを大切にする意識なのかもしれません。だからこそ、“つい”ラケットを叩きつけてしまうのではないでしょうか。

大切に扱う意識は、粗末に扱う意識を同時に含んでいるからです。

一方、イチロー選手は、モノを大切に扱う意識を卒業され、自らのパートナーとして道具と深く交流をされている。

43歳になる今もチームで一、二の運動能力をキープし続けるイチロー選手。先日のメジャーリーグの公式ツイッターでも、そのプレーに、【他にこんなことができる43歳知ってますか?】と動画付きで紹介されていました。

彼は、単に筋肉を付けパワーアップを図る多くの選手とは異なり、自らの身体全体、そして、各部位とも深遠な交流をとり続けながら、そのしなやかな肉体そのものに埋め込まれた創造力、それがどう表現され得るのか、アスリートとして25年を経た今もって、その作品を(プレーそのものを)造りあげることを愉しむアーティストとして、新しい自分と出会い続ける日常に生きている、そう観じられるのです。

その姿勢からは、イチローと言う現在(いま)この瞬間を生きるアスリートとして、本質を追窮されている一人の人間としての姿が浮かび上がってくるのです。

イチロー選手の道具は人間として、また品(ひん)を作りあげるアーティストとして、本来の創造力を体現しようとする彼と一体化した調和を奏でるファルフとさえなってしまっている。

淡々とした彼の佇まいからは、自然とそう観じとれてしまうのです。

 

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