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 「一本の道」  2003年12月20日


ただ目の前のどこへ続くとも知らない一本の道を歩みつづけたことがあるでしょうか。
     −この道はどこへ僕達を連れて行ってくれるのだろう。−
日常に視野に在るその道を、僕と友人は、朝焼け出ずる前、友の車で走り始めました。
暗闇の中、日常のよく知る道から出立した僕達は、
何も知ることのない始めての景色を次の瞬間には過去にしながら
どこへ行くあても知らず、車を走らせていました。ただまっすぐ…。

朝焼けが、静かに周りの景色に光を照らし始めた中、
僕達は特別な言葉を交し合うわけでもなく、
砂漠の景色に一台のカブト虫に似たその赤い車は走り続けていました。



僕自身、いくつもの選択肢を持ちながら、
実は目の前の一本の道を歩み続けて来たのかもしれません。
あの日と同じように。
どこにつづくのか知らないまま、自らがパートナーに選んだ
決して新しくはない車と、けんかをしながらも、
わかちあえる友と呼べる人達と共にこの道を歩むことを心に決めていたのかも知れません。

その車に乗った知己(とも)の一人が、難病になってしまいました。
病名はガン、胃から膵臓、腹膜に転移している末期ガンです。
「余命半年から一年、薬が効けば二年は持つかもしれません。」
今年の七月一日、その知己の誕生日その知己の手術の日、執刀医から言い放たれた言葉です。

僕らはその知己と、もっともっと色んな景色を見、感じ、語り合おうと思っていました。
その知己を失うことは、僕が左半身マヒになった12歳の時以上の喪失感でした。
いま、この知己を失うわけにはいかない。「死なせてたまるか。」僕の素直な叫びでした。

−生まれ変わりはある。知己は知己の学びを生きている。
 僕が関われる事などたかがしれている。エゴで生きて欲しいと思うのは違う。−

全て知っていたのです。これらの思いを尊重し、信頼もしていたのです。
ただ心の深くから聞こえてくる声は、
「いっしょに車に乗っただろう。もっともっといっしょに窓の景色を見ていよう。何も語らなくてもいい。もう少しで朝陽が照らしてくれるから…。見ていよう。きれいだから…。」




アメリカ・オレゴン州ポートランド郊外、友人と共に走り続けたその車は、
朝陽の中を楽しげに走りながら、
わけもなく砂漠にたたずむ一軒のレストランにすべり込みました。
二人の住むアパートの前の道、僕達は、ただ若さゆえのノリと思いつきで、
「この道がどこに続いているのか…?今から行ってみよう。」

それだけで走り続けた数時間、アメリカは広い。一度もT字路にぶつかることもなく、
ただただまっすぐどこへ続くとも知らないその道を辿って行ったのです。

僕達は、朝の賑わいの中、あわただしくも、笑顔があちこちで浮かんでいるレストランにいました。
パンケーキとトーストを頼んだのでしょうか。僕と友人は、嬉しそうに楽しげに、それらをほおばりながら、「見慣れた家の前の道は、こんなレストランの日常と繋がっていた。」
それを目に映る景色で確認しながら、どこかしら微笑みを浮かべ、
仕合わせな実感を身体で感じながら、黙ったまま…。



朝陽の中、その知己は本当に生まれ変わってしまったようです。
いっしょに車に乗っていたはずの知己が、いつしか、僕自身、
初めて出会う知己になっている。
さっきまで助手席にいた知己はもう、さっきまでのその人とは違う。
同じ景色、同じ時空を生きていたと思い込んでいた僕の意識はあまりに幼く、
どれ程深く一つの思い込みという幻想に彩られていたことか…。

その知己は、自らのガンと向き合い、しっかりとコミュニケーションをとり、
自分という存在がどれほどのものか、自らのプライドを見つめきり、
自らの自我を嫌うことなく、ただ眺め受け容れ、自らの弱さをいつくしみ、
死への恐怖を我がものとし、静かに見つめ、
僕の知らぬ間に大きな存在へと意識を変容させ
たくましくたおやかに、心やさしい方になられていました。
僕の知っていた知己ではない人となって…。

一本の道、ただ目の前にある、何の変哲もない日常の道。
僕はその道が連れて行ってくれるどこか、その知ることのないどこかにいざなわれ、
ここまで歩んできたように思えるのです。

一本の道、その道が、どこに続いていようと、僕は仕合わせであり続ける。
そのことをその知己は命を賭して、僕に語りつづけてくれていたのでしょうか。

砂漠で知るオレゴンの朝焼けは静かでやさしかった。
そんな遠い記憶がこのペンを走らせてくれたのかも知れません。






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