『年始のご挨拶』               2011年1月10日


以下に書かれた数字は何を表していると思われるでしょうか

0=1

1=2

2=4

3=8




10=1,024

20=1,048,576

30=1,073,741,824

もうおわかりの方もいらっしゃるかと思います。これは先祖の方達の人数です。

0は、自分自身です。
1は、私達の両親です。
2は、私達の祖父母です。

つまり
十代遡ると1,024人のご先祖様が
二十代では1,048,576人
三十代遡ると1,073,741,824人のご先祖様が存在していたと言うことなのです。

この数え切れないくらい多くの先祖の方達のうちたった一人、誰か一人でも病気や事故、戦争だったり、疫病で子孫を残す前になくなっていたとしたら…・

今ここに「自分」は存在してはいないのです。
両親に先祖の方々に無条件に感謝が向くことが自然だと言う意味はここにあるのでしょう。
今この瞬間このボディーで体験して味わい学べる機会を頂いていると言う天文学的な確率、誰一人欠けていても存在としての私達は居なかったという、有り得ない、有り難い“今”なのですから。


北野たけしさんが浅草の芸人時代、後輩におしっこを飲ませると言う見せしめ?登竜門?(慣習)があったようです。
たけしさんもその例にもれることなく、先輩のおしっこを飲まされたそうです。その時彼は『こんなことはもう俺の代で止めよう』そう心に決めたそうです。
彼の代からおしっこを後輩に飲ませる慣習は消えたようです。
おしっこを飲ませる方、飲まされる方、双方の方々のこれまでの思いは、北野たけしさんと言う独りの意識と意志で終焉を迎え、その連鎖は断ち切られたのです。

数えきれない先祖の方々の思いが私達一人一人に引き継がれ、それらが私達を形作っているとしたなら…・
DNAよりも深い記憶として刻まれ、私達の存在そのものが先祖の方達の思いを引き受けているとしたなら…・

たけしさんのように、それまでの累累とした思いを全て引き受け変換していけるでしょうか。
私が気づいたなら私がやるしかない…・と、どこまでの覚悟が私達にあるのでしょうか。

親を責め、他者を指さすことを肯定し続け、微妙な被害者意識に酔い、自他を分け評論家でいる私達に、本気で先祖の方々の哀しみも痛み、苦しみをも自らの思いとして受け容れ、変換し続けることが果たしてできるのでしょうか。

ここにその覚悟を携えた友人の言葉が綴られています。

《先日実家へ帰った時、お墓参りに行って来た。

従姉お祖母ちゃん家に、よく預けられていた。その家も30数年、誰も住んでいなくて荒れ果てている。

お祖母ちゃんは、子供7人を育てるのに必死だった。
戦前の田舎町、子供たちは高等教育も受けられない。
食べるのに、精いっぱい。

お祖母ちゃんの記憶と云えば、キセルでガチン!ガチン!と灰を落とす。
シワくちゃな顔と、ゴツイ手と、シワくちゃな指と、真っ黒い顔。
 
 30数年前他界した

一体私は、お祖母ちゃんに対して何が出来るだろうか。
お祖母ちゃんは、何をして欲しいんだろうか。何を願っているんだろうか。

想いのたけをぶつけてみた。

私の痛み苦しみは、お祖母ちゃん、お祖父ちゃん、家族、皆の痛み苦しみなんだと感じた。

私が至らない為に、皆の痛みに気付けず、人事にしてここまで放っておいたんだ。何かの責任にしていた。

更には、自分自身の痛みにも、人事だった。

と、思った。

「素直に謙虚に」は

完全に自他と一体でなきゃ出来ない事だと思った。

皆が気付くには、私が徹してやるしかない

そう、思った》

准正さんホームページ
巡遭寺

2011年私達はどれ程、素直さと謙虚さを生きる覚悟があり、両親に先祖の方達に感謝と共に、
彼らの思いを他とする事なく、深く自分事として共有できる意志があるのでしょうか。

《元スタッフの方からの返信です。》

25年前に亡くなった母方の祖母の事を走馬灯のように思い出しました。
私は最後迄、祖母の事を好きになれませんでした。亡くなる迄の10年程を一緒に暮らして来たにもかかわらずです。

長男の奥さんとも次男の奥さんとも合わず、最後に私の両親を頼ってうちに来た祖母の痛みを私は、考えもした事がなかったのです。
25年たって、祖母の痛み苦しみを考える事なく、今まで来てしまった事を申し訳なく、大泣きしてしまいました。



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