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「チャレンジからトライへ」  2008年7月18日


チャレンジと言う意味はこの文化ではとても馴染みのあるポジティブな言葉として使われていますが、訳すと挑戦となり、戦いを挑むと言う粗い言葉として私達の無意識にインプットされてしまいます。戦って勝ち抜いて奪い合った文化が今のこの文化、勝ち組、負け組と呼ばれ、トーナメントに象徴される勝者と言う仕組みを作りだしたのはこの文化の象徴なのでしょう。

エネルギーは同じだけあり、戦って奪い合って、一部の人達で独占しようが、皆で分かち合っても、元々のエネルギーは同じだけあるのです。エネルギーを分配すると言うことの本質的な意味に気づいてないこの文化(気づいていないだけで、それが良い悪いではないのです)は戦って勝ち抜いて独占すると言う手法に行き詰まりを感じ始めているのでしょう。

石油と言うエネルギー、エネルギーとしての食糧、独占している国と枯渇している国があるのはこの星の今を象徴しているのでしょう。

また、闘病と言うのもこの文化を象徴した言葉です。
病気になったら病を敵と見なし、病に闘いを挑むわけです。何故自分が病気になったのかではなく、何故自分がこの病気を必要として『病人』になったのかを見つめる視座がないのです。
病気を必要として、その病気のメッセージを受けとり、その病気になったことが心から有難い学びを頂いてることを観じれたなら、もうその方は病気を必要とされる『病人』である必要はなくなるのです。病気は『病人』にさせて頂き、自らを修正する貴重なメッセージなのです。
ちなみに花粉症の方は自然に対する感謝が足りないことへのメッセージだと言う情報です。と、言うように、自分を気づかせてくれるために、本当に粘り強くメッセージを送り続けて下さる存在さんが私達を諦めずに常にサポートしつづけて下さっているようです。

私達は常に戦って勝ち抜くことを良しとして教育を受けてきました。
しかし、本当にそうなのでしょうか?いつも挑戦し続け、闘いを挑み続けなければならないのでしょうか?勝った者は評価され負けた者は社会の仕組みの末端でうち捨てられなければならないのでしょうか?

チャレンジではなくトライし続けることで学びと言う視座が生まれるのではないでしょうか。

成功も失敗と言う現象も良い悪いではないのです。

どちらの現象を通しても素直な心さえあれば、学べるのです。学べると感謝できるのです。
そして、気づき成長させて頂けるのです。

周りを気づかせる必要などないのです。
自分が気づき学びを深めていかれる実践をしていくだけなのです。本来は素晴らしいセミナーを聴く必要も素晴らしい方と会う必要もないのです。

ご自分が自然の仕組みに叶い調和のとれた方になれば、自ずと同調され素晴らしい方と協力され、役割をされていくことになってしまうのです。
ご自分に必要な学びは今この目の前に準備されていることが全てで、今この場所が実践の場なのです。

その実践の繰り返しが爽やかに周りが変わっていくことに繋がるだけなのです。

トライし続ける中で…学び続ける中で…



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